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こけしの由来は「子消し」ではない!本当の語源と歴史・怖い俗説が広まった理由を解説

日用品

こけしの由来は「子消し」ではない!本当の語源と歴史・怖い俗説が広まった理由を解説

「こけしって、実は『子消し』が語源で、間引きされた子供の供養のために作られたらしいよ」

温泉街で見かける素朴なこけし人形に、そんな恐ろしい由来があると聞いて、ゾッとしたことはありませんか?でも安心してください。これは昭和40年代に広まった完全なデマです。

本当のこけしは、江戸時代から東北地方の温泉地で愛されてきた縁起の良い玩具。「子授けし(こうけし)」という子宝を願う意味や、木地師たちが子どもの健康を祈って作った魔除けの人形という温かい歴史があります。

この記事では、こけしの正しい由来と語源、なぜ「子消し」という怖い俗説が広まってしまったのか、そして東北6県に伝わる11系統の伝統こけしの魅力まで、詳しく解説していきます。

目次 非表示

こけしとは?東北地方の伝統工芸品の基本知識

温泉街のお土産屋さんで必ず見かけるこけし。あの独特な表情と佇まいには、実は江戸時代から続く深い歴史がります。

こけしの特徴と基本的な形状

こけしは東北地方の郷土玩具で、ろくろで挽いて作られた木製の人形です。基本的な形は球形の頭と円柱の胴というシンプルな構造になっています。

大きさは高さ10センチから50センチ、太さは3センチから10センチほどが一般的。頭部には女の子の顔が描かれ、胴体には菊や梅などの伝統的な模様が施されています。

ひとつひとつ職人さんが手作りしているため、まったく同じ表情のものは存在しないというのも魅力のひとつなんですね。

江戸時代から続く温泉地のお土産文化

こけしが生まれたのは江戸時代後期、文化文政年間(1804~1830年)のこと。東北地方の温泉地で湯治客へのお土産として作られ始めたのが起源とされています。

当時は子ども向けの玩具として人気があり、赤い染料を使った人形は魔除けや縁起物としても重宝されていました。そのため、子どもの健やかな成長を願う気持ちも込められていました。

最も古い生産地は宮城県の鳴子温泉といわれており、そこから東北各地の温泉場へと広まっていったのです。

こけしの由来は「子消し」ではない!正しい語源と歴史を解説

「こけしって実は『子消し』という意味で、間引きされた子供の供養のために作られたんだよ」なんて話、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。実は、これは完全な誤解です。

こけしの本当の語源は「木削子」「小芥子」など複数の説

こけしの語源には諸説ありますが、最も有力なのは「木で作った芥子人形」から来たという説です。芥子人形(けしにんぎょう)とは、江戸時代に流行した小さな人形のことで、これが転じて「こけし」になったと考えられています。

他にも「木削子(こげし)」という説があります。木を削って作ることから、この名前がついたというわけですね。

面白いことに、地域によって呼び名はバラバラだったんです。鳴子温泉では「こげす」、山形県では「でく」、仙台では「きぼこ」など、それぞれ独自の名前で呼ばれていました。これだけ呼び方が違うということは、「子消し」という字面はただの語呂合わせに過ぎないことがよく分かります。

「子授けし(こうけし)」という縁起の良い意味も

驚くことに、幕末期の記録「高橋長蔵文書」(1862年)には「こふけし(こうけし)」と記されています。これは「子授けし」という意味で、子宝を授かるという縁起の良い願いが込められていたんです。

さらに、こけしの頭に描かれている「水引手」という模様は、京都の御所人形にも使われるお祝い人形専用の描彩様式。つまり、こけしは子どもの健康と成長を願うお祝い人形だったということです。「子消し」とは正反対の意味だったんですね。

1940年に「こけし」へ名称統一された経緯

あまりにも呼び名が多すぎて混乱を招いていたため、1940年(昭和15年)、鳴子温泉で全国のこけし工人や愛好家が集まって会合が開かれました。

そこで「こけし」というひらがな3文字に統一することが決定。これ以降、全国共通で「こけし」と呼ばれるようになったわけです。

なぜ「こけし=子消し」の怖い説が広まったのか?

正しい由来があるにも関わらず、なぜこんな恐ろしい俗説が定着してしまったのでしょうか。実はこの誤解には、昭和の時代背景と情報伝達の問題が深く関わっています。

昭和40年代のマスコミによる誤った情報の拡散

「子消し」説が広まったきっかけは、昭和40年代後半頃のマスコミの報道でした。「東北地方では貧困や飢饉のため、口減らしで子供を間引き、その供養のためにこけしが作られた」という話を面白おかしく取り上げました。

さらに1971年には作家の松永伍一氏が「こけし幻想行」というエッセイ集でこの説に触れたことで、一気に広まってしまいました。テレビでも取り上げられ、まるで真実のように語られるようになってしまったというわけです。

「子消し」説を否定する3つの根拠

でも冷静に考えてみると、この説にはおかしな点がいくつもあるんです。

まず第一に、飢饉は東北だけの問題ではありませんでした。享保の飢饉も天明の飢饉も全国規模で起きていたのに、なぜ東北だけにこんな風習があったことになるのでしょうか。

第二に、もし本当に悲しい供養の人形だったら、温泉地のお土産として売られるはずがありません。江戸時代の文献を見ても、子どもの玩具として記録されているだけで、供養に関する記述は一切ないのです。

第三に、地域によって「こげす」「でく」「きぼこ」と呼び名がバラバラだったこと。これは「子消し」という共通の意味があったわけではない証拠です。単純に「こけし」という音から連想された、後付けの語呂合わせに過ぎなかったんですね。

インターネット時代でも残る誤解と正しい情報の重要性

残念なことに、今でもネット検索すると「こけし=子消し説」が上位に表示されることがあります。一度広まってしまった誤解は、なかなか訂正されないものです。

だからこそ、東北の誇れる伝統文化であるこけしの本当の姿を正しく伝えていくことが大切です。

こけしの歴史|木地師が作った江戸時代の温泉みやげ

こけしを作り始めたのは、山で暮らしていた木工職人たちでした。どんな経緯で、あの愛らしい人形が生まれたのでしょうか。

江戸時代末期(1804~1830年)の温泉地での誕生

こけしが誕生したのは江戸時代末期、文化文政年間(1804~1830年)のこと。この頃、湯治という温泉療養が庶民にも広まり、東北各地の温泉場が賑わうようになりました。

最初は宮城県の鳴子温泉や遠刈田温泉、福島県の土湯温泉などで作られ始めたとされています。温泉客が増えるにつれて、お土産物の需要も高まっていったのです。

当時の記録を見ると、子どもたちが喜んで遊んでいた様子が描かれています。単なるお土産というより、家で待つ子どもへの贈り物として人気があったようですね。

木地師(きじし)による子ども向け玩具としての発展

こけしを作っていたのは「木地師(きじし)」と呼ばれる職人たちでした。彼らは山中に住み、ろくろを使ってお椀やお盆、茶たくなどの日用品を作って生計を立てていました。

温泉地の近くで商売をしていた木地師たちが、余った木材と技術を活かして作り始めたのがこけしの始まり。シンプルながら愛嬌のある人形は、たちまち子どもたちの人気者になりました。

魔除けと縁起物としての赤い染料の意味

こけしに使われている赤い染料には、特別な意味がありました。江戸時代、赤色は魔除けの力があると信じられていました。

疱瘡(天然痘)除けのお守りとしても赤い玩具が重宝されていました。こけしも同じように、子どもを病気や災いから守る願いが込められていたというわけです。まさに親心が生んだ玩具だったのですね。

東北6県に伝わる伝統こけし11系統の種類と特徴

東北地方で発展したこけしは、地域ごとに独自の進化を遂げ、現在では11の系統に分類されています。それぞれに個性的な特徴があるのも、こけしの奥深い魅力です。

宮城県の4系統(鳴子・遠刈田・弥治郎・作並)

宮城県は最も多くの系統を持つこけしの本場です。鳴子系は首を回すと「キーッ」と音が鳴るのが特徴で、菊やカエデの華やかな模様が描かれています。

遠刈田系は大きな頭と細い胴のバランスが特徴的。頭頂部には「てがら」と呼ばれる赤い放射状の模様があり、切れ長の優しい目をしています。

弥治郎系の頭頂部にはカラフルなろくろ線が描かれ、まるでベレー帽をかぶっているよう。作並系は子どもが握りやすいように細く作られており、胴には「かに菊」という独特の模様が描かれています。

福島県・山形県・秋田県の主要系統

福島県の土湯系は、頭に蛇の目模様の「かせ」という赤い髪飾りが特徴。胴体にはろくろで描かれた赤・黄・緑の鮮やかな横縞があります。

山形県には山形系蔵王高湯系があり、秋田県の木地山系はらっきょう型の頭が印象的です。どれも地域の特色を反映した独自のデザインになっています。

各地域で異なる呼び名と特色

統一前は「こげす」「でく」「きぼこ」など、地域ごとに異なる名前で親しまれていました。この多様性こそが、こけしが単なる玩具ではなく、各地の文化と結びついた工芸品である証拠といえるでしょう。

こけしが怖いと言われる理由と誤解を解く

「こけしって何となく怖い」と感じる人も少なくありません。でもその印象は、誤解や現代的なイメージから生まれたものがほとんどです。

無表情な顔が与える印象の問題

伝統的なこけしの顔は、確かに無表情で親しみにくい印象があるかもしれません。特に現代のキャラクターに慣れている私たちには、あの独特な表情が不気味に映ることもあるでしょう。

しかし本来は子どもの純真な表情を表現したもの。シンプルだからこそ、見る人の心情が投影されやすいという側面もあります。

付喪神信仰と人形への魂の宿りという考え方

日本には古くから「付喪神(つくもがみ)」という考え方があります。長年使われた道具には魂が宿るという信仰で、特に目のある人形は持ち主の念が込められやすいとされてきました。

こうした文化的背景が、こけしを含む日本人形全般に対する畏怖の念を生み出しているといえるでしょう。

ホラー作品での使用による現代的なイメージ

2014年公開の映画「神さまの言うとおり」など、ホラー作品でこけしが使われることで、怖いイメージが定着してしまった面もあります。本来の温かみのある民芸品としての姿とは、かけ離れたイメージです。

こけしの魅力と現代のこけしブーム

実は、こけしは過去に何度もブームを巻き起こしています。最近では若い女性を中心に、新たな魅力が発見されているようです。

3度のこけしブームと「こけ女」の登場

こけしブームはこれまでに3度ありました。第一次は昭和初期の伝統工芸品としての再評価、第二次は高度経済成長期の温泉観光ブーム、そして第三次が2010年頃から始まった若い女性による再発見です。

特に第三次ブームでは「こけ女(こけじょ)」と呼ばれる女性ファンが登場。木のぬくもりや素朴な表情、一つとして同じものがない特別感に魅力を感じる人が増えています。

創作こけしと新しい表現の広がり

群馬県の卯三郎こけしに代表される「創作こけし」も人気です。キャラクターとのコラボレーションや、現代的なデザインを取り入れたものなど、伝統の枠を超えた新しい表現が生まれています。

こけしの処分方法|供養は必要?

長年大切にしてきたこけし。処分する時には、どうすればよいのか悩む方も多いのではないでしょうか。

人形供養という選択肢

こけしは必ずしも供養が必要な人形ではありません。ただ、目のある人形として愛着があったり、感謝の気持ちを込めてお別れしたい場合は、人形供養を行っているお寺や神社に依頼する方法があります。

千葉県の長福寿寺や和歌山県の淡嶋神社、宮城県の大本山成田山仙台分院などが有名です。供養料は1体1,000円から5,000円程度が相場となっています。

寄付による社会貢献の方法

実はこけしにはコレクターも多く、手放したこけしが誰かの宝物になる可能性もあります。寄付サービスを利用すれば、途上国支援や障がい者雇用などの社会貢献にもつながります。捨ててしまう前に、新しい持ち主を探してみるのも良い選択かもしれません。

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